141128

vol.455

lmnarchitecture.com

第18回 文化庁メディア芸術祭、エンターテインメント部門の審査委員会推薦作品に選出さらたという朗報。

文化庁メディア芸術祭とは…アート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門において優れた作品を顕彰するとともに、受賞作品の鑑賞機会を提供するメディア芸術の総合フェスティバル。今年度は世界71ヶ国・地域から3,853作品の応募があった。

受賞作品展は2月4日(水)から2月15日(日)まで、東京・六本木の国立新美術館を中心に開催されるらしく、早速宣伝。

着々と、一歩ずつ。

2014.11.28

141127

vol.454

粘土による模型作りのコツを教えてもらった。
これまでも何度か粘土模型はこの事務所で作ってきたが、毎度毎度納得いかず。 それどころが不格好なものをつくってしまうことに恥ずかしささえあった。

たった1つのコツを知ることでこんなにも嫌いになりかけた粘土が好きになれた。
はたからみたらとても単純で当たり前のことだし、何を言っているのだと笑われるかもしれない。
そんな基本的なことに気づけずに闇雲に突っ走っていても時間の浪費であり 全く前の雲は晴れない。わかっていてもなかなか気づけなかったりする。

そうした盲目な自分にヒントを教えてくれる人がそばにいてくれることのありがたみを知る。 同時にこうしてまだまだ知らないことばかりなんだなと反省。

基本的なことをしっかり身につけること、忘れぬように心がけよう。

2014.11.27

141126

vol.453

「people in vhanoi」

お世話になっているハノイのおじいちゃん。 nguyemさんと会えるのもあと少し。
時に面倒なおじいちゃんだったりもしたけどやっぱりあのように誰とでもフレンドリーに接してくれる人はなかなかであるものではない。

短い間ではありましたが、ありがとうございました。

2014.11.26

141125

vol.452

本制作もそろそろ終盤を迎えたいところ。 先日facebookで宣伝はされていたので真剣に動き出すことを期待しよう。

今回は本の背のスタディ。すでにこのスタディ何十回もやっているのだが、何度やっても改良点がでてくる。 こんな細かい作業をやっていても飽きない。むしろ楽しくて仕方がない。残念なのは初稿でだせないから一発本番で仕上がりを見るしか無いこと。

早く本物をみたいものです。

2014.11.25

 sample of spine

sample of spine

141124

vol.451

nước chanh = lemonade
激ハマリしている飲み物。
limeに砂糖水を加えたこの単純な飲み物に今更になってはまりだし、抑えきれずに家でもつくりはじめることにした。 自宅でつくるものと買うのでは全然味が違うのが悔しいのでひたすらどうすれば美味しくなるのか帰宅後実験している。 limeは5個で10,000vnd(50円程度)で1リットルほど飲める。そう考えると買って飲む15,000vndが馬鹿らしくなるのだが、それでも買っているあの味に近づけないのであまりおしくない出費。

日本に帰っても引き続き飲み続けたい。

2014.11.24

141123【vol.450】

vol.450

青年がおしゃれな姿でバイクに乗っている。
こんなかっこいい乗り方できるのも、ハノイならでは。

それにしても運転している母親よりも偉そうなその態度をみていると、どっちが運転しているのだろうかとよくわからない気持ちにさせられる。

そんな今回は450回目の記念日記。
ただひたすらにふてぶてしく生きたい。
最近はよく食べよく寝るというとても健康過ぎる生活をしている。ここにきて身体が膨れ上がってきている。そのくせに運動していないから大変なことになりそうなのだ。物理的なふてぶてしさなどいらないのだが。

ただよく食べるようになった理由は炭酸を飲まないようになったからなのではないかと思う。
ひたすらにコーラを飲み続けてきたが最近は週に1,2度と抑えられるようになってきた。 しかも驚くことに白湯にはまりだして、仕事中は紅茶も飲まなくなった。ここにきてまさかの健康思考へと一歩リードしているように思う。

が、そのおかげで食べる量が明らかにおかしい。
どっちの方向に進むことが正しいのか見失いそうなので、色々な意味でしっかり前を向いて行きたい。

2014.11.23

141122

vol.449

happy wedding tim.
ハノイで出会った建築家timの結婚式へ。
timの流暢な日本語に毎度オーストラリア人であることを忘れてしまう。 そんなtimがハノイで出会った素敵な女性とこの度結婚式を3度することとなった。

そう3度。
1度目はここハノイ。2人の出会った場所でありこれからもともに暮らしていくであろう場所。 そんな素晴らしいスタートを見送ることができた。
ちなみに2箇所目は彼女の母国の南アフリカ、3箇所目はTimの母国のオーストラリア。 こんなに移動距離のある結婚式なので終えるまで4ヶ月以上もかかるんだとか。 こうして3つの母国をもつことができるカップルはなかなかいないだろう。

さらにいうと結婚式がこれまた面白い。司会者が神父となりそしてさらには歌手へと変貌するその様子も考えると滑稽なのだがなぜか温かく見守っている自分がいた。歌あり、ダンスありで皆が心から楽しめる結婚式だった。

是非オーストラリアの式には遊びがてら行きたいとなと密かに計画中。

2014.11.22

DSC00297.JPG

141121

vol.448

日本の文化がハノイにも。

メイド喫茶に行ってきた。しかも平日の昼休み。 とくに面白いことはなかったが衣装と顔の雰囲気のギャップがすごかった。

もう少し頑張れば集客率はあがるのではないだろうかと気になることはつきなかったが、こういう経験もできるのかと楽しかった。

2014.11.21

141120

vol.447

NAP建築設計事務所の中村拓志 狭山の森礼拝堂

2014年度グッドデザイン・ベスト100のプレゼン。

作品をみるつもりが、狭山湖半霊園の墓地の美しさに目をもっていかれた。
自然の囲まれ方がこんなにも素晴らしい墓地があるのだろうか。
実際にいったわけではないので想像でしかないのだが墓地の暗く物悲しい雰囲気を一切感じさせず、むしろとても明るくそこにいても心が落ち着きそうなほど安心できる場所に見えた。

今の事務所について「自然」についてしっかりと考えるようになった。
それまではうわっつらで「緑」について考えていた。半ばランドスケープほど手をだしたくない分野はないと思っていた。
大都市に住み緑がないことが当たり前の世界で生きていて緑について考えて下さい
というほうが無茶な話。 ハノイも十分に都会なのだが、なんとなく自然との繋がりを感じられる。一歩市内を出ればすぐに自然に囲まれるのも事実。ここにきて自然と共生することの有り難みを実感できたようだ。

話を狭山湖半霊園に戻すが、「生と死」はよく建築課題でも取り上げられるが何か象徴的な、神秘的なものなんてちっぽけなのかもしれない。 中村さんが設計した礼拝堂。建築それ自体はその空間にいったものにしかわからないが、時間を止めて「考える」きっかけをつくる場所を自然を介してつくろうとしているのだろう。

見に行く前と見に行った後の気持ちにどれだけの差があるのかも知りたい。

2014.11.20

141119

vol.446

JIA MAGAZINE309を読む。
読み物が少ないこの国で、デジタルで読める媒体には感謝しかない。

良い建築を生むには建築家の挑戦が必要
トム・ヘネガン氏

何かを語らなくなってしまった建築
半分理解し半分納得できなかった。
でも言っている事は正しくてCADが普及したことでトライ&エラーの回数は愕然と多くなった。時間をかけない分、とりあえずやってみようと手を動かすことだったある。ましてや3Dなんてあれば図面見せずして建物を説明できたりするわけで。

「例えば、フランク・ロイド・ライトの場合、ライト自身が描いたロビー邸のドローイングがあって、ある決まった角度から見るとその建築が最も魅力的に見えるということがあったわけです。実際、現地に行くと、同じアングルから写真を撮って満足するわけです。
 ところが、最近の建物では、SANAAのものでも石上純也さんのものでも、決まった視点というものが建物にありません。ですから、訪問すると多数の写真を撮ることになるわけですが、戻ってそれらの写真を見比べてみても、どれがベストだといえないわけです。…中略…建物は、「何か」を語らなければなりません。何か、質だとか、歴史だとか、美術館であれば社会の中の役割であるとか、「何か」を言わなければならないのです。最近の建物は、ただそこに存在している。」(抜粋)

まず彼の話は形態に注目している。とするならば、視点がなくなったのではなく多数に分散されたのではないだろうか。そしてかならず一点の決まったアングルがあることが重要なのだとしたらそれは情報社会の中での話なように思う。(実際に写真を見比べてもといっている)
しかもそれが前提条件としてあることもどうだろうか。丘の上にあるからこそ落水荘はあの形としてあの最高のアングルを獲得できている。もちろんコンテクストを読まずに建築家の建築論を全面に押し出してつくることが建築家の役割だとも思わない。(だからといってSANAAや石上純也が機能美として評価されているとも言い難いのだが)

彼の言う「ただそこに存在している」というのが。建築家の暴力のようなそんなマイナス要素としての語りかけのように思ってならない。
ただ存在していることが100年、1000年続いていたらどうだろうか。それほど周りから愛されて評価されている建物はないと私は思う。
存在したくても、国立競技場のような価値のある建築でさえ取り壊しの対象になるのだ。

こういう考え方は彼が言うように、「寿命の短い日本の建築」の中で生きてきたからでてくる発想なのだろうか。愛されないものはいつのまに消え去るだけなのだ。
金の無駄だといっているがそれで経済が周り、時代がつくられ、建築の歴史ができる。人は失敗から学ぶのだから、このような繰り返しは社会のみならず建築史にとっても意味があることではないだろうか。

建築を保存することに優れたヨーロッパの建築論とは違うかもしれない。
でもだからこそ、今多くの建築を見る機会が与えられそこから学ぶことが出来る。

私だったら、
「ただ存在しつづけてしまった」といえるものをつくりたい。

2014.11.19

141118

vol.445

今週でインターンを終える学生の送別会として昼から鍋パーティー
こうして皆でご飯を食べることもあと僅かなのだろうか

家の近くで鍋が美味しいと言われるその店は店内だけでは回しきれないので店の外(路上)まで広がる。そしてそれに輪をかけるように隣人の家も飲み物を提供しだす。更によってたかって靴磨きのおじさんたちが現れるのだ。 本当にこの国は自由だ。

ついでに本のためにスタッフで記念撮影。
こうしてみるととても馴染めたようだ。

2014.11.18

 lau = hot pot

lau = hot pot

 vo trong nghia architects hanoi office

vo trong nghia architects hanoi office

141117

vol.444

せっかく買ったビデオが面白すぎて怒る前に笑えた。
ベトナムで売っているDVDは本物からダビングして収録されたもの。 それは理解していた。おかげで新作だって低価格で買える。

それをいいコトに洋画を買ってみた。
1ヶ月以上も前に買って楽しみにしていたので結構期待が膨らんでいた。 興奮気味にDVDを入れてみた。

まさかの…吹き替え…

洋画を吹き替えでみるなんて絶対嫌だったけど気付かずに買ってしまったのだから仕方ない。とりあえず我慢してみることに。

DVDの中はダビングの都合上映画が8分割されて入っていた。
面倒ながら1/8を見終え、次に進める。

あれ…

まさかの…中国語吹き替え…

いやいや、これは分かるはずもない…

どういうことだと、他の6/8分を確認。
日本語→中国語→英語→フランス語……

えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

結果、多種多様の言語の吹き替え映画となっていた。
これはトリリンガルという脅威的な能力を持った者さえも太刀打ち出来ない最強映画だったのだ。

さすがに時間の無駄なので意味もわからず見ることはしなかった。
しっかしこんな面白いDVDをつくった人もどれだけのいたずらっこなのだろうか。

良い勉強になった。

2014.11.17

141116

vol.443

ある日、はじめてバイクであるビルの地下駐車場に入った。
買い物を済ませ、荷物を抱えてバイクにまたがり地上へ向かう…はずだった。

私のバイクは坂を登ることができなかったのだ…
傾斜角度と法規制(日本)
10%~13%: 一般的な商業施設などで使われる立駐スロープ勾配

絶対もっと急傾斜…

結局エンジンを回しながら横を歩行するというなんとも滑稽な姿を披露することに。
確かにカブの威力の弱さという部分も否定できないが、それにしても残念でならなかった。

こういう明らかに間違えたでしょ。やりすぎちゃったでしょ。恥ずかしいでしょ。
みたいな設計をベトナムではよく見る。まったく誰が設計してくれたんだ。と思うと同時に自分にいつか帰ってこないようにと気を引き締められる思いになる。

2014.11.16

141114

vol.441

社内コンペだったのだけど、毎度後悔と反省することばかり。
今回は形で攻めようと思ったくせに形のスタディがなさすぎて結果グダグダ。

模型を作ったら余計にダメだと気付かされ、だからといって時間的に後戻りもできないためひたすら惨めな気持ちに浸る。
昨夜にコンセプトが浮かんだ時の自信満々の自分が全くいなくなり、むしろ穴があったら入りたいみみっちぃ小動物になっていた。

いつもそうなのだが、脳内のものをアウトプットするのがとてつもなく弱い。
もっともっと勉強したい。もっともっと欲深くなりたい。

悔しかったけど、それでもやっぱりやってよかった。途中まで中途半端なきもちだったらやらないほうがましだと逃げていた自分だけは褒めてあげたい。

2014.11.14

141113

vol.440

フランスでお会いして以来何度かお会いしたことがあるのだが、建築家田根剛氏がスパイラルで展示をしている。 パリで建築事務所Dorell.Ghotmeh.Tane Architectsを主宰している田根さんは、どのプロジェクトにおいても徹底したanalysisをもとに進めているらしく、事務所に伺った際打合せ場所の壁一面にびっしりと分析内容が貼られていて感動した印象がある。

建築設計のみならず舞台演出だったり今回のようなインスタレーションだったり、面白い事をたくさんやっている。6万個の地板を使って演出しているスパ

【"LIGHT is TIME” ミラノサローネ2014 凱旋展】
会期:2014年11月14日〜11月24日
会場:スパイラルガーデン(スパイラル1F)東京・南青山
詳細:www.spiral.co.jp/eschedule/detail1256.html

2014.11.13

141112

vol.439

一瞬にして流れが変わる。

とはいえ、これは何度も流れが変わってること。
絶望と失望と落胆を同時に感じた時、人は表情が変わらないようだ。 いつまでいたちごっこをし続けるのだろうか。
ただひたすら走り続けないと答えは出ないし、文句を言っても何も状況は変わらない。

もう一つの流れの変化。
コンセプトが固まって初めてのクライアント・ミーティングで起きた。

あまり感触がよくなさそうなクライアントの反応。次第に空気は重くなる。
すると、なぜか新たな来客。ボスへの取材で現れたメディア関係者が現れたのだった。
ここで不思議なことにダブルミーティングがはじまる。
さっぱり状況がつかめない中でも打合せは進むのだが、突然きた面倒そうな取材陣のすごいリアクションのおかげなのかボスが先ほどまでの空気を一掃させた。 その圧倒された雰囲気にクライアントも少しずつ口を開き始める。

偶然とはいえ、ピンチをチャンスに変えられるのも運がある証拠なのかもしれない。 「運も実力のうち」という言葉があるが、こういう雰囲気作ができるのも才能があるアーキテクツという証拠なのだろう。こればかりは難しいが、是非とも見習いたい。

2014.11.12

141111

vol.438

本日正式に了承を得たので発表。(得たのかわからないがラスボスに報告完了)

勤めてきたVo Trong Nghia Architectsを辞めることにしました。

前職同様約1年半と短い期間だった。
何を言われようと全く後悔していないし、自分としてはここまで計画範疇であり順調。 突然に舞い込んだベトナムで働くというチャンスに飛び乗り、周りからしたら都落ちのような人生を歩んだわけだが、自分にとっては大きな成長であり誰にも経験できないであろう人生をおくれている。

これまでに6プロジェクトに参加し、更にベトナムで初めてのモノグラフを制作した。(今もまだしているのだが)
コンペを入れたら10以上のプロジェクトに関わってきたことになる。
これだけでもう十分日本ではできない経験だと思う。ベトナム人建築家の本をつくることもできなかっただろう。

未完だらけで実際にできあがってない。確かにそうだし、ボスにもまだ学び足りないと言われた。
ただ甚だ無意味な議論だと思う。出来上がっているものが完璧なのだろうか。学びき終えるとは視覚化できるものなのか。自分の生き方に対して客観的に物事をみることは大切だが次のステージに上がるほうが優先。
磯崎さんのUNBUILTではないけれど、いつかこのプロジェクトが未来のベトナムに何か意味のあるものになるかもしれない。

というわけで、実際に次に向かって動き出さなければいけないという現実が舞い込んできた。急に恐怖に襲われたり、夢で仕事のことばかりみるここ数日。
すでにあらゆる選択肢があったりするので、ベトナムにいる残りの期間は存分に考える時間にしたい。

宣言したことですっきりするような気がしたのだが、意外にも重圧がのしかかったようだ。 何かに所属することの安心感は大きいんだと再確認。

2014.11.11

141110

vol.437

分からないこと

ベトナムに限った話ではないのかもしれないが、とても疑問に思うことがある。
それは打ち合わせ中に来た電話に普通にみなが出るということ。
ここにくるまで経験したことがないので不思議でならないが、それにしても打合せが円滑に進まない状況を作り出しているのが正直不愉快だ。

電話をかける側は、通話中にただひたすらに待たなければいけない。
電話をうける側は、話をできるものの会話内に「今打合せ中なので」なんて言われたら急がないといけないと思ってしまう。
番外編で「打合せ中なのでまたあとでかけ直します」というのもみる。これは一番意味の分からない行為だ。電話に出なければそんな言葉を発する時間もなくなるではないか。

なぜ非効率な状況を作り出しているのにもかかかわらず電話にでるのだろうか。
それをベトナム人と限定できないのも事実で、仕事がらみで関わっている日本人も平気で電話にでて話し合う。
日本で働いていたときにこんな疑問をもつことなどなかった。ここにくると影響されるということなのだろうか、それともこれまで見てきた日本人はイレギュラー対象者ということなのか。

本当に、なぜなのだろうか。
何かメリットがあるのだとしたら是非とも教えて欲しい。

2014.11.10

141109

vol.436

何をしないくらいならばどんな形であっても動いている人間は評価に値する。
何もせずに文句を言う人間ほど存在価値のないものはない。
ということを大前提に訴えたい。

自分のエゴを押しつけるような、そんな国際交流、協力についてどうもいつも癪に障る。 何かをするとき、それが本当に意味のあることなのか、しっかりと見極める目が必要だとおもう。

ハノイに役立ちたい、ハノイのために〇〇がしたい。
全て上から目線な言葉である。

上から目線でも良い。ただ、やるならば徹底的に相手の事を考えてみなければ無意味だ。
でなければ無作為に街の景観を壊して自分のオリジナリティを全面に押し出してすきなものをつくる建築家と一緒。

本当に日越交流を図りたいと思うのであれば贅沢な場所や物などで着飾る必要などないはず。むしろ誰もが気軽に足を踏み入れられる空間でなければ意味がない。 それならばいっそのこと自己満足で途上国に来て好きなことやりました。そう開き直られた方が気持ちが良い。

相手国の文化・風土を理解した上で、互いに補完しあいながら関係を深め合うことが重要なのではないか。

今回の件で多分一番に嫌だと思ったのは、突然に質問をふられたことでも、伝え方がへただったのでもなく、こういうことなんだと思う。
自分は決して国際協力をしたいと思って来たわけでも、ベトナムという新興国に興味があったわけでもない。
ただこういう批判は紛れもなくどこでも言われていることであり、常に考えてフィードバックをしなければ行けないと思う。

「仕事のタスクをこなせたのか」朝につくったチェックリストを帰る前に確認をする社会人が当たり前のように行う事とスケールは違えど同じはず。

ただはじめにいったように、どんな進め方であっても行動にうつしている人間は本当に素晴らしいと思う。

2014.11.09